リオオリンピック代表からA代表に駆け上がっていった「ジャガー」こと、浅野拓磨選手。
サンフレッチェ広島で活躍後、イングランドの名門アーセナルに移籍し、今はドイツのハノーファーに所属しています。
日本代表では惜しくもロシアワールドカップメンバーから落選しますが、森保ジャパンの初陣では招集されており、監督からの期待の高さが伺えます。
おそらくこの選手の特徴は多くの人が知っているところで、一番の武器はその圧倒的なスピードとゴールを決めたときのジャガーポーズですね。
今回は、そんな浅野拓磨のプレースタイルと、アーセナル復帰の可能性についてまとめてみました。
浅野拓磨のプロフィール
兄弟が多いことで知られ、7人兄弟の3男で、男兄弟は6人(末っ子が女性)だそうです。高校は三重県の強豪、四日市中央工業出身です。
名 前 | 浅野 拓磨(あさの たくま) |
出身地 | 三重県菰野町 |
生年月日 | 1994年11月10日 |
身長/体重 | 171m/70kg |
所属/背番号 | ハノーファー96/11 |
ポジション | FW |
利き足 | 右足 |
浅野拓磨のプレースタイルはまるでジャガー
スピードを活かした突破を武器とするフォワードです。
非公式ですが、30メートル走の記録であのオーバメヤンよりも早いタイムを残しており、浅野のスピードが世界レベルであることを証明しています。
ボディーバランスも悪くなく、多少強い当たりを受けてもボールを失うことがありません。
ディフェンスラインの裏への抜け出しも得意で、これはプロ入り当時同じポジションにいた佐藤寿人の影響も多分に受けていると思われます。
浅野で一番印象的なシーンは、リオオリンピック最終予選を兼ねたU-23アジア選手権、韓国との決勝戦です。0-2で敗戦濃厚だった後半から途中出場し、1点返して反撃ののろしを上げると、3点目の決勝点も奪い、見事大逆転優勝に貢献しました。
【浅野のジャガースタイルがよく分かる10分動画】(ぷあたんアカデミー様に感謝)
課題としてはシュート技術とメンタル面であり、難しいシュートは決めるのに、簡単なシュートを外してしまったり、シュートを打つ局面で味方へのパスを選択したりしてしまうことがあります。
特にキリンカップ2016の決勝ボスニア戦の試合終盤に、GKとの一対一の場面で横パスを選択してしまい、試合後に涙を流していた姿を覚えている方もいると思います。
優しすぎる性格なのかも知れませんが、フォワードに求められるのはゴールという結果のため、もっと貪欲にゴールだけを狙ってほしいですね。
浅野拓磨の海外移籍
四日市中央工業時代
高校時代は三重県の名門、四日市中央工業高校のサッカー部に所属しています。
浅野自身、中学時代からJリーグのユースチームや、私立の強豪校から声が掛かる活躍を見せていましたが、浅野は7人兄弟の三男であったことから、両親の経済的な負担を避けるために県立高校を選択した経緯があります。
しかし進学した四日市中央工業高校は、公立でありながらサッカー部ではこれまで小倉隆史、中西永輔、坪井慶介など日本代表選手を数多く排出してきている名門中の名門です。
浅野は入学直後から活躍し、高校選手権には3年連続で出場、特に2年時には初戦から決勝まで全ての試合で得点を挙げる大活躍を見せ、大会得点王に輝きます。
この活躍からサンフレッチェ広島、横浜F・マリノスなど複数のJリーグクラブからの入団オファーが届きますが、最終的にはサンフレッチェ広島を選択します。
サンフレッチェ広島時代
サンフレッチェには入団当時絶対的なエースとして、佐藤寿人が君臨していたため、1年目、2年目は出場機会に恵まれず、初ゴールは3年目まで待つ必要がありました。
3年目の2015年は浅野がブレークした年であり、リーグ戦で32試合8得点の好成績を残します。
特筆すべきはこの8得点は全て途中出場から奪っている点です。短い出場機会ながらも確実な結果を残していたことが伺えます。
この年はJリーグのベストヤングプレーヤーにも選ばれ、4年目には背番号を10番に変更し、エースとしての活躍を期待されます。
迎えた4年目も広島のエースとして活躍を続けますが、アーセナルからの獲得オファーが届き、シーズン途中での移籍を決断します。
アーセナル移籍後(シュトゥットガルト→ハノーファー)
アーセナル移籍後はイングランドの就労ビザが降りなかったため、ドイツのシュトゥットガルトに期限付き移籍することとなります。
移籍当時シュトゥットガルトは二部リーグの所属でしたが、浅野は一部昇格に貢献し、次のシーズンも引き続きシュトゥットガルトでのプレーを選択します。
2018年はハノーファーに移籍し、プレシーズンマッチでは得点を量産し、開幕スタメンを手に入れましたが、リーグ戦ではいまだゴールがありません。怪我で一時離脱するなど、思うような活躍ができていないのが現状です。
なお、ヘルタ・ベルリンから完全移籍してきた原口元気とは同僚になります。
アーセナルへの復帰可能性
浅野が優れた選手であることは間違いないですが、現時点の活躍では難しいでしょう。
アーセン=ベンゲルがアーセナルの監督から退いたことも、浅野にとってはマイナスに働くと思われます。
ベンゲルは浅野のようなスピードのある選手を好んでいたため、過去にもスピードを持ち味とする宮市亮を獲得しています。
一方、現在のエナイ=ウメリ監督はベンゲルほどスピードに優れた選手を重宝しない印象があるため、浅野にとっては厳しい状況となっていると思われます。
なお、これまでアーセナルに所属した日本人選手は稲本潤一、宮市亮の二人ですが、どちらも出場機会を満足に得ることはできませんでした。
宮市はアーセナル移籍後にオランダのフェイエノールトにレンタル移籍。そこでかなり印象に残る活躍をして、アーセナルに一度復帰した経緯があります。
浅野がアーセナルに戻る指針として、宮市の活躍が比較対象になると思いますが、現時点ではドイツで宮市ほどのインパクトは残せていません。
そもそもブンデスリーガからアーセナルに移籍しているのはオーバメヤン、ムヒタリアンなどドイツでも傑出した結果を残している選手ですので、彼らと同じレベルでの活躍を残さなければ戦力としてまず見なされることはないでしょう。
ここまでブンデスリーガで通算5得点はフォワードとしては寂しく、24歳という年齢からも即戦力として期待されるため、この活躍では復帰の可能性は低いでしょう。
まとめ
アーセナルへの復帰が難しいと言っても、そもそもアーセナルに所属すること自体が相当に難しいことです。アーセナルに認められるだけでも、浅野が世界的に稀有な才能を持っていることは間違いありません。
アーセナルが全てではありませんので、浅野にはまずはハノーファーで目に見える結果を残して着実にステップアップしていってほしいと思います。
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