権田修一のプレースタイル。鳥栖からポルティモネンセへ移籍!【動画あり】

権田修一プレースタイル GK

サガン鳥栖での活躍から日本代表に「戻ってきた」権田修一選手。

【最新】移籍情報!2019.1.28追記

昨シーズン、鳥栖で獅子奮迅の活躍を見せた権田が、中島翔哉の活躍するポルトガル1部のポルティモネンセへ移籍することが分かりました。

アジアカップ2019の真っ只中ですが、近日中に発表されるそうです。

 

そんな権田の奥さんは2011年に結婚した奥さんは元モデルの篠田裕美さんであり、可愛すぎる嫁として有名です。やべっちFCでも何度か出演していましたね。

 

権田は2009年にA代表に初召集されますが、これまでA代表でのゴールマウスを守った試合はわずか5試合に留まっています。怪我などの影響もあって代表から遠ざかっていた時期もあり、森保ジャパンで3年ぶりの復帰となりました。

現在29歳の権田のキャリアは波乱万丈です。

 

今回は、そんな権田修一のプレースタイルと、どのように波瀾万丈なのか、その経歴についてまとめてみました。

 

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権田修一のプロフィール

 

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ロンドン世代で、ロンドン五輪では主力として日本のゴールマウスを守っていました。

見た目がお笑い芸人のサバンナ高橋に似ているとネットで話題になったこともあります。

名 前 権田 修一(ごんだ しゅういち)
出身地 東京都世田谷区
生年月日 1989年3月3日
身長/体重 187cm/83kg
所属 サガン鳥栖→(2019)ポルティモネンセへ移籍
ポジション GK
利き足 右足
家族 妻(篠田裕美)、長男

 

権田修一のプレースタイル

鋭い反射神経を活かしたセービングが最大の武器であり、ここぞという時の勝負強さで、たびたびチームを救うビッグセーブをみせています。2018シーズン、そんな権田に救われたと考える鳥栖サポーターはかなり多いのではないでしょうか。苦しむ鳥栖で孤軍奮闘する彼のビッグセーブで拾った勝ち点は10近くあるはずです。

 

前任の林も絶対的な守護神でしたが、今やその姿を忘れるほど鳥栖といえば権田というイメージが定着しました。

 

総合的な能力が高いキーパーであり、29歳にして国内、海外で豊富な経験を持っています。

若い時は安定感に欠けるプレーを見せていましたが、経験を重ねた今、そのような姿は見られません。Jリーグの中でも抜群の安定感をみせています。

 

一方、若い頃から歯に衣を着せない発言が多く、試合中に相手選手と口論になる姿をよく目にします。これは今も変わりません。

気持ちの強さの裏返しではありますが、権田のパーソナリティの大きなところはよい意味でも変わっていないのではないでしょうか。

 

【2018シーズン前半で権田の凄さが分かる5分動画】(Pink Tsui様に感謝)

 

波瀾万丈な経歴

FC東京で活躍するもある病気に・・・

東京都世田谷区出身の権田はFC東京の下部組織出身のイメージが強いですが、実は入団したのは中学からで、小学校のときは川崎市内のサッカークラブに通っていました。

 

小学校卒業時には横浜F・マリノス、川崎フロンターレのセレクションにも合格しており、湘南ベルマーレからもスカウトを受けていましたが、当時のコーチのアドバイスに感銘を受け、FC東京のジュニアユースチームを選択します。

これだけのチームからスカウトされるというのは、小学生自体から相当な実力を持っていたことでしょう。

FC東京では2003年にクラブユース選手権で優勝し、日本一を経験しています。

 

2005年から2種登録選手としてトップチームの練習に参加しており、2007年の高校在学中にトップチーム昇格が決まりました。

トップチーム昇格後は当時の守護神であった塩田仁史の存在もあり、試合出場を果たせていませんでしたが、その塩田の長期離脱に伴い2009年シーズンに出場機会を掴みます。

 

出場から数試合は緊張もあったのか、不安定なプレーを続けますが、経験を積むと共に安定し、最終的には年間15完封というJリーグの個人記録を達成しています。

この年のナビスコカップ決勝でもMVP級の活躍をみせ、タイトル獲得に大きく貢献します。

 

そんな若干19歳のゴールキーパーには輝かしい未来が約束されていると思われましたが、翌シーズンはチームがまさかの残留争いに巻き込まれ、J2降格を味わってしまいます。

その際に「浦和に期待した僕がバカでした」というコメントを残してしまっており、サポーターの中では権田の若さを表す言葉として有名となりました。

 

2011シーズンは移籍せずにJ2でのプレーを選択しますが、ロンドンオリンピック予選を同時に戦っており、チームを離れている間に塩田に定位置を奪われてしまいます。

当時、権田はA代表にも招集されていたことから、まさかの日本代表選手がクラブにおける出場機会を失ってしまうという状況となります。しかし、最終的にはレギュラーを奪い返し、面目躍如を果たしています。

 

その後も2014年までFC東京の正ゴールキーパーとして活躍しますが、権田のキャリアの大きな転機になったのはオーバートレーニング症候群の発症です。これにより長期離脱を強いられてしまいます。

 

この頃の権田は日本代表にも安定して選ばれていたため、もしこの病を発症していなければロシアワールドカップのゴールマウスを守っていたのは川島ではなく、権田だったかも知れません。

 

※オーバートレーニング症候群とは

体が回復しないうちに、負荷が高いトレーニングを続けることで、体の疲労回復機能が追いつかず、慢性的な疲労感、動悸、手足のしびれなどが起こってしまう病気です。

一度発症すると、治療のためにトレーニングを半年から1年ほど禁止されてしまうため、この病気が原因で引退に追い込まれてしまったり、キャリアを停滞させてしまう選手が数多くいます。

一説によるとメンタル面の病気であるとも言われており、真面目な選手が発症することで知られています。過去にも森島寛晃、市川大祐、森崎和幸などが同じ病気にかかっています。

 

SVホルンへの移籍

オーバートレーニング症候群から回復すると、2016年1月、クラブからの了承のもと本田圭佑がオーナーを務めるオーストリアリーグのSVホルンに期限付き移籍します。

SVホルンで試合にも出られるようになるまで復活しますが、FC東京との契約が残っていたため一度復帰します。

 

権田はその際、FC東京のフロントに海外移籍願望を伝え、移籍しやすいように契約を解除してほしいと願い出ます。

クラブも生え抜きである権田の意思を尊重し、海外でのプレーを応援するために契約を双方合意の上で2017年1月に解除します。

 

権田の希望通りフリーになったものの、冬の移籍期間で移籍先が決まらず、失意のうちに日本に帰国することになります。

 

サガン鳥栖への移籍はFC東京を裏切る形に・・・

この状況から夏の移籍期間まで無所属となることも覚悟していましたが、サガン鳥栖の守護神であった林がFC東京へ移籍したため、鳥栖は権田に熱心なオファーをし、権田も鳥栖に入団することを決意します。

 

結果的にFC東京とサガン鳥栖は正ゴールキーパーを交換する形となりますが、移籍の経緯からFC東京を裏切る形となり、サポーターは権田を強く糾弾します。

 

権田本人も中学時代から過ごしたFC東京を裏切る形となってしまったことについて、申し訳ない思いが強くあったようでFC東京との初対決になった2017年の第五節では権田がFC東京サポーターに対し土下座をして謝罪しています。

 

日本代表にカムバック

オーバートレーニング症候群の発症から日本代表には遠ざかっていましたが、鳥栖での活躍からハリル時代から日本代表に復帰します。ところが2015年にコンディション不良で代表を辞退してから召集されておらず、ロシアワールドカップメンバー入りも果たせませんでした。

 

森保体制になってから3年ぶりに召集され、これまで継続的に呼ばれていることから、森保監督からの期待の高さが伺えます。

 

現状は東口順昭に次ぐ2番手の位置付けですが、実力差はなく、いつでも正GKを狙える位置にいると思います。シュミット・ダニエル、まだ森保ジャパンには召集されていない中村航輔も加えたポジション争いも注目です!

 

アジアカップ2019では権田は正ゴールキーパーとして活躍しています。東口が怪我で今大会の出場が見通せない中、初戦のトルクメニスタン戦では2失点したものの、シュミットがゴールマウスを守ったウズベキスタン戦以外は、失点0に抑えています。

 

まとめ

日本代表に「戻ってきた」権田選手。

年齢的にもゴールキーパーとして多くの経験を積み、円熟味を増して一番いい時期にあると思います。

同じオーバートレーニング症候群に掛かってしまった選手を勇気付けるためにも、日本代表での活躍を期待したいですね!

 

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