2018年5月24日、サッカー界のスーパースターであるアンドレス・イニエスタ選手がJリーグのヴィッセル神戸に加入することが発表され、今シーズン神戸でプレーしました。
随所にワールドクラスのプレーを披露したものの、チームはJ2降格圏内をさまよっており、最終的には18チーム中10位という結果に終わりました。
鳴り物入りでやってきたイニエスタにとっては不本意なシーズンだったんじゃないでしょうか。
先日12月1日には、以前所属していたバルセロナやスペイン代表でも同僚だったダビド・ビジャが神戸に加入することが発表されました。
イニエスタにとってはよく熟知した心強い相棒の加入により、今シーズンよりさらに素晴らしいプレーを見せてくれると思います。
今回は、そんなイニエスタのプレースタイルやバルセロナやスペイン代表での経歴、日本(神戸)での生活ぶりなどをお届けします。
アンドレス・イニエスタのプロフィール
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イニエスタが移籍する際、年俸がいくらになるのかが注目を集めました。推定32~33億円と言われるその年俸は、ヴィッセル神戸の経営権を持つ楽天の三木谷社長でなきゃできない決断だと思います。
名 前 | アンドレス・イニエスタ |
出身地 | スペイン アルバセテ県フエンテアルビージャ |
生年月日 | 1984年5月11日 |
身長/体重 | 171cm/65kg |
所属クラブ | ヴィッセル神戸(日本)/8 |
ポジション | MF |
利き足 | 右足 |
家族 | 妻、娘 |
推定年俸 | 32~33億円 |
イニエスタのプレースタイル
卓越したボールテクニック
イニエスタはトリッキーなプレーはほとんどしませんが、相手に囲まれた狭い空間でもボールを失うことなく自らドリブルで抜けだしたり、わずかな隙を突いて決定的なパスを出すことができます。
ダブルタッチなどを使いながらスルスルっと抜け出すドリブルは、イニエスタの真骨頂といえます。
難易度の高いプレーをいとも簡単にシンプルにこなすので、ロナウジーニョやネイマールといった魅せる選手ではありませんが、ボールの扱いは間違いなく超一級品です。
的確な状況判断と戦術眼
常に周りの状況を意識し、味方や相手がどこにいるかを把握したうえでどういうプレーをしたら効果的なのかを常に考えてプレーしています。
なので、ドリブルで行ったほうがいいのか、パスを選択した方がゴールへの距離が早いのかを瞬時に的確に判断することができます。
その戦術眼こそが、イニエスタが世界最高のミッドフィルダーと称される所以でしょうね。
【イニエスタの神戸での凄さがよく分かる10分動画】(ぷあたんアカデミー様に感謝)
イニエスタの所属クラブの経歴
イニエスタはFCバルセロナの下部組織出身で、そのままトップチームに昇格し、バルセロナを退団するまで約15年バルセロナ一筋でした。
カンテラ(下部組織)時代
現在スペイン2部のアルバセテ・バロンピエというクラブの下部組織での活躍が認められ、12歳でバルセロナのカンテラに入団します。FCバルセロナでのカンテラは、若手寮の名前からラ・マシアと言われています。
当初はレアル・マドリーの下部組織に入団する予定でしたが、両親の意向により取りやめになったそうです。
ラ・マシアは年齢と能力のよって細かくカテゴリーに分けられ、年齢を問わないバルセロナBからトップチームに昇格できるのはごく少数の精鋭のみです。
トップチームで活躍する選手はカンテラ出身者が多いことから、バルセロナの育成組織には定評があります。リオネル・メッシ、シャビ、ピケ、バルデス、プジョルなどもこのカンテラ出身です。
育成組織のカテゴリーについては久保建英選手の記事に詳しくまとめていますので併せてご覧ください。
トップチームでの栄光の数々
イニエスタが18歳の2002年、当時のルイス・ファン・ハール監督によってトップチームに昇格し、すぐにチャンピオンリーグでデビューを飾っています。
もっとも2003-04シーズン、2004-05シーズン、2005-06の前半戦までは途中出場が多いイニエスタでしたが、シャビの怪我により代役を任されると、高いパフォーマンスを見せそのままレギュラーに定着しました。
それから2018年に退団するまで、FCバルセロナの主力として、数々の栄冠をもたらしています。
- リーガ・エスパニョーラ 優勝9回
- コパ・デル・レイ(スペイン国王杯) 優勝6回
- UEFAチャンピオンズリーグ 優勝4回
- クラブワールドカップ 優勝3回
以上は一例ですので、他にもタイトルを獲っています。バルセロナにこれほどまでに貢献した選手は他にいないんじゃないでしょうか。
生涯契約を結んだFCバルセロナをまさかの退団
2017年10月5日、バルセロナとクラブ史上初の生涯契約を結んだことが発表され、バルセロナでサッカー人生を終えると思われたイニエスタでしたが、2018年5月にヴィッセル神戸に移籍することが発表されました。イニエスタがバルセロナを退団を決断したときの年齢は33歳。
退団理由について、イニエスタは以下のように語っています。
フィジカルのレベル、メンタルのレベルでこのチームに値するものを与えることが難しくなってきた。
クラブに対しても、自分に対しても、嘘をつきたくないんだ。
トップコンディションでバルセロナで活躍することは難しいと感じていたんですね。
自分を育ててくれたクラブには迷惑を掛けられない、そして常勝軍団であるためには次世代の選手が台頭する必要があるんだといった、バルセロナを愛するが故の決断だと思います。
ヴィッセル神戸への移籍
イニエスタは「バルセロナとは対戦したくない」と述べていることから、欧州以外で移籍先を探していたと思われます。
中国、オーストラリア、カタールなどいろいろな移籍先の噂が流れていましたが、最終的にヴィッセル神戸へ入団し、7月22日の第17節の湘南ベルマーレ戦でJリーグデビューを果たしました。
ヴィッセル神戸では初年度の2018年、15試合に出場し3得点を記録しました。
ただ前述したように、神戸はリーグ戦終盤までJ2降格争いに巻き込まれており、イニエスタとしては満足できる結果ではなかったと思います。
来季は、ポドルスキと新たに加わるダビド・ビジャ、そしてイニエスタがどのように融合するのか楽しみですね。
イニエスタのスペイン代表での経歴
2006年、22歳のときにドイツW杯のスペイン代表に初選出され、リーグ戦の第3戦目でW杯デビューを果たしています。
翌2007年2月7日、イングランド戦で代表初ゴールを挙げると、以降スペイン代表の中心選手として活躍していきます。
2008年には、主力としてUEFA EURO2008(欧州選手権大会)でスペインに優勝をもたらします。
26歳の2010年、南アフリカW杯でのオランダとの決勝戦では、延長後半11分に、イニエスタが劇的なボレーシュートを決め、スペインの初優勝に貢献するとともに、マン・オブ・ザ・マッチに選ばれました。
なお、この年のバロンドールでは、リオネル・メッシに次ぐ2位の得票数を得ています。
28歳で迎えた、UEFA EURO2012では、最優秀選手に選ばれるなど、再びスペインの優勝に貢献しました。
2014年のブラジルW杯では、優勝候補に挙げられながらもグループリーグで早々に敗退しましたが、イニエスタはオーストラリア戦で代表100試合を達成しています。
2018年、ロシアW杯も本来の力を発揮できず、スペイン代表も決勝トーナメント1回戦で開催国ロシアにPKの末敗れています。この大会を区切りに、イニエスタはスペイン代表を引退しました。
【イニエスタのバルセロナ、スペイン代表でのプレー動画(13分)】(ぷあたんアカデミー様に感謝)
神戸での生活にも慣れた?
日本の習慣で一番驚いたことは家で靴を脱いで裸足で生活することだそうですが、日本の生活にもだんだん慣れてきたようです。
神戸の街も居心地がよく、三宮などでお気に入りのレストランもできたということです。食べ物についても、ラーメンやうどんなどにも積極的にトライしているとインタビューで答えています。
ファンから声を掛けられれば気軽に応じるというその姿勢も、イニエスタの飾らない性格の表れだと思います。
まとめ
イニエスタほどの選手がJリーグでプレーしているのは、日本のサッカー界にとって大きな宝です。
神戸のチームメイトだけでなく、Jリーガー全体がイニエスタからたくさんのことを学んで欲しいですね。
イニエスタも、日本のために貢献したいという気持ちもあるはずです。日本サッカーがもっと高みに行くためのアドバイスもしてほしいですね!
>>2019シーズンのヴィッセル神戸に注目!!

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