元日本代表で鹿島アントラーズのレジェンドである小笠原満男(MF)が12月27日、2018シーズンをもって引退することを表明しました。
衝撃なニュースとして各報道から伝えられましたが、小笠原も39歳。年齢的には引退してもおかしくない年になってきました。
ただ小笠原の存在そのものに影響力があるため、鹿島の現役選手や鹿島ファンのみならず、多方面から引退を惜しむ声が聞こえてきます。
結局、12月22日に行われたクラブワールドカップ3位決定戦が最後の試合になりました。
小笠原の引退理由、現役選手やサッカーファンの声、小笠原のこれまでの功績などについてまとめてみました。
最後に小笠原のスーパープレーを集めた動画も貼っておきますので是非ご覧ください。
クラブW杯が最後の花道に
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個人的には、なんとなくクラブワールドカップが終わったら引退するのではないかという予感はしていました。
リーベルプレートとの3位決定戦で後半31分に内田篤人に代わって小笠原が投入された時、直感的に小笠原の最後のプレーになるのではという気がしました。
もしかしたら大岩監督は小笠原から引退の話を聞かされていたのかもしれません。
46歳の大岩監督と39歳の小笠原、監督が現役時代に鹿島でも一緒にプレーをしている間柄です。
交代時点で0-2で負けている状況でしたが、小笠原の影響力に期待するのと同時に、最後の花道を用意したのではないでしょうか。

小笠原満男の引退理由とは
小笠原は引退会見で以下のように語っています
- なかなか試合に出る機会が少なくなり、ピッチの上でチームを勝たせることができなくなってきた。
- 本当にチームが好きだからこそ、このチームがさらに強くなっていくためには自分が出場するより、若い選手、これからの選手たちにピッチに立ってほしいと思ったのも1つで、やっぱり今後アントラーズが強くなっていくために必要なことだと思ったので、自分は身を引く時が来たかなという思いで決断しました。
膝の大怪我
遡ること10年、2008年9月20日の柏レイソル戦で小笠原満男はサッカー人生最大の大怪我を負いました。
相手のFWポポと接触した際に負傷し、「左ひざ半月板損傷、前十字じん帯損傷で全治6ヶ月」という診断が下されました。
一時は引退を考えるほどでしたが、2009年3月7日のJリーグ開幕戦で途中出場により168日ぶりの復帰を果たすと、2009年シーズンはJリーグ史上初の3連覇に貢献し、自身もJリーグMVPに輝いています。
不屈の精神で乗り越えた大怪我でしたが、この膝の怪我は後にもしばしば影響を及ぼしていたようです。
今年10月に引退を表明した元同僚の岩政大樹氏は、自身のブログで以下のように書いています。
2008年に膝の大怪我をして、その前と後では明らかにプレーが変わりました。キックのキレも以前よりは落ちたように感じました。しかし、そこから彼は這い上がり、這いつくばって、10年を日本のトップクラブで過ごしました。(中略)
正直に言って、あの足でここまでミツオさんがやってこられるとは私は思わなかったのです。
また、小笠原と鹿島で6年間一緒にプレーした柴崎岳は、
僕がいた時もちょくちょく怪我があった。膝の怪我が悪化したのかな。心配ですし、のちの人生に響かなければいい。
とコメントしています。
岩政が書いているように、大怪我から10年間も鹿島アントラーズというトップクラブで活躍してきた選手なので、膝の怪我が引退の直接的な原因ではなさそうですが、怪我の影響と年齢的な体力の衰えなども重なってのパフォーマンスの低下は原因にあげられるだろうと思います。
パフォーマンスの低下と若手の台頭
ここ2シーズン、小笠原の出番は徐々に少なくなっていきました。
Jリーグの出場は、
- 2016年 30試合
- 2017年 17試合
- 2018年 14試合
カップ戦や天皇杯も含めた通算では、
- 2016年 40試合
- 2017年 22試合
- 2018年 17試合
出場機会の減少が明らかですね。
先発での出場もスポット的な起用がほとんどで、三竿健斗やレオ・シルバ、永木亮太らのバックアッパーとしての位置づけが多くなりました。
もちろん試合に出れば、チームリーダーとして周囲を奮い立たせ、プレーでも存在感を見せてはいました。
ただ、三竿は日本代表に選ばれるまでに成長し、レオ・シルバや永木も安定したプレーを続ける中では、小笠原の居場所は小さくなっていったのは事実です。
鹿島アントラーズを愛してやまない小笠原にとっては、自分がいなくなっても勝てる鹿島になるまでが、現役としてプレーを続けるモチベーションになっていたのではないかと思います。
そして、それが「今」だったんじゃないでしょうか。
鹿島アントラーズ悲願のアジアチャンピオンズリーグ優勝も、小笠原の出番なしで勝ち取ったタイトルです。
若手の成長を見届け、潔く去っていく小笠原、かっこいいですね!
小笠原の今後の予定は?
現役引退後、小笠原はどうするのでしょうか。気になるところですが、何をする予定かも全くコメントされていません。
川口能活が引退表明をした時には、サッカーに関わっていきたいというコメントを残し、実際に代表のGKコーチの要請を受けていると報道されました。
小笠原が今後サッカー界に関わっていくのか、また全く別の活動をするのか。口数が少ない小笠原なので、このあたりもあまり語らないのではないでしょうか。
なので、勝手に予想してみました。
まず、コメンテーターはないでしょうね。同学年で鹿島でも一緒にプレーした中田浩二氏がコメンテーターとして活躍しているので、コンビでやったら面白いと思うんですが・・・
高校を卒業してから21年間、サッカー漬けだったため、サッカーとは別の世界に飛び込むことは考えにくいですね。
鹿島を愛する小笠原としては、引退後も何らかの形で鹿島に残り、若手の育成に尽力するのではないかと勝手に思っています!
現役選手やサッカーファンの声
小笠原満男の引退は衝撃をもって報道されました。
この報道で初めて知った現役選手も多く、驚きの声・惜しむ声・お疲れ様の声などいろいろとコメントされているので、紹介します。
選手の声
柴崎岳のコメント
柴崎岳は2011年に鹿島に入団してからスペインに移籍するまでの6年間、小笠原とボランチのコンビを組みました。青森出身の柴崎は、同じ東北の岩手出身の小笠原に強い憧れを抱いていたようです。
- 知らなかったので、驚きがもちろんあります。
- 元チームメイトとしても同じ東北人としても、満男さんの決断にはお疲れ様でしたと言いたい。
- 個人としては小学生の頃からのアイドル。
- 満男さんの隣でプレーすることが多かったし、口では多くを語らないですけど、プレーの中から僕自身も得るものがたくさんあった。
- 流れを読んだり、緩い空気、甘い空気を察するのは人一倍早くて、檄を飛ばすことも多々あった。一人の選手として成長させてくれた大先輩。
槙野智章のコメント
アジアカップ2019に向けた代表合宿中に引退のニュースを聞いたという槙野は、ロッカールームでも驚く声がいろんな選手から聞こえたことを明かし、寂しい思いを語りました。
満男さんに限らず、能活さんもそうだし、引退のニュースを聞くと、後輩の僕らは寂しく思う。
青山敏弘のコメント
同じく代表合宿中の青山は、同じボランチの小笠原に敬意を表しつつも、残念な思いをコメントしています。
常にあこがれだったし、目指すべき存在だった。そのお手本がいなくなるのは寂しい。(中略)あこがれだったことは変わらないし、残念ですね。
鈴木優磨のコメント
2015年に鹿島ユースからトップ昇格した鈴木が、プロ初ゴールを決めたのも小笠原のアシストからでした。感謝を込めて次のようにインスタでメッセージを送っています。
- 今でも忘れない。プロデビュー戦、2-0で負けているガンバ戦のフリーキックのシーン。交代で入ると同時に俺にスーッとパスをだしてくれた。あのパスがなかったら今の俺はない。
- 練習を休むことは絶対なかったし、口数は少ないけどいつも背中で引っ張ってくれるキャプテンでした!そんなキャプテンが大好きです。
岩清水梓(元なでしこ)のコメント
小笠原と同じ岩手県出身の岩清水(32・日テレ・ベレーザ)は、トップクラブでキャプテンを務めてきた自分に重ね合わせ、小笠原の引退を惜しむツイッターを更新しました。
- ヤバイ。悲しい、悲しすぎる。
- 私の中でキャプテンといえば、ずっと満男さんだった。常勝チームを勝たせるキャプテン。勝手に重ね合わせてた。
サッカーファンの声
ツイッターなどには、小笠原の引退を受けて、惜しむ声、感謝の声が並びました。それだけ影響力のある選手であったことがよく分かります。
- 僕の中で背中で語る選手No.1でした。
- お疲れ様、最高のキャプテン。
- 鹿島といえば小笠原満男。もう対戦できないのは寂しい。
- 鹿島を愛する満男選手が大好きでした。
- 敵として一番嫌な相手でした。見方なら頼もしかった。
- 40番を永久欠番にしてください。
- いつかまた違う形で日本サッカーに貢献する小笠原さんを楽しみにしています。
- ジーコに並ぶくらいの鹿島のレジェンドだと思う。
- 最後にACL優勝カップを掲げる姿を見れてよかったです。
- 来期からでもコーチやフロントなど鹿島で働いている姿を見たい。
これは一部ですが、他にも寂しさと感謝のメッセージが続々と発せられています。
小笠原満男の功績
プロフィール(引退表明時)
名 前 | 小笠原 満男(おがさわら みつお) |
出身地 | 岩手県盛岡市 |
生年月日 | 1979年4月5日 |
身長/体重 | 173cm/72kg |
所属/背番号 | 鹿島アントラーズ/40 |
ポジション | MF(ボランチ) |
利き足 | 右足 |
家族 | 妻(一般人)、子供(長女、次女) |
経歴
1995年 | 岩手県立大船渡高校へ入学。”東北のファンタジスタ”と呼ばれる。 |
1998年 | 鹿島アントラーズ入団。同期に中田浩二、本山雅志、曽ヶ端準。 |
2006年 | FCメッシーナ(イタリア)へレンタル移籍。 |
2007年 | 鹿島アントラーズ復帰。 |
2018年 | 現役引退表明。 |
出場歴
Jリーグ | 525試合(歴代4位) | 69得点 |
カップ戦 | 63試合 | 8得点 |
天皇杯 | 59試合 | 11得点 |
ACL | 44試合 | 3得点 |
日本代表 | 55試合 | 7得点 |
日本代表では、2002年の日韓ワールドカップのチュニジア戦でわずか6分間の出場、2006年のドイツワールドカップでは2戦目のクロアチア戦でフル出場、3戦目のブラジル戦で先発出場(56分で交代)しています。
主要タイトル17冠!
鹿島は2018年のACLを制し、主要タイトルを20冠としました。

小笠原はなんとそのうちの17冠に貢献しています。まさに鹿島のレジェンドと言える活躍ぶりですね。
【主要タイトル17冠】
Jリーグ優勝7回 | 1998,2000,2001,2007,2008,2009,2016 |
カップ優勝5回 | 2000,2002,2011,2012,2015 |
天皇杯優勝4回 | 2000,2007,2010,2016 |
ACL優勝1回 | 2018 |
2000年は3冠を達成、リーグ戦では2007年~2009年にかけて3連覇を果たしています。
その他の獲得タイトルは以下のとおり。
- A3マツダチャンピオンズカップ優勝1回(2003)
- スルガ銀行チャンピオンシップ優勝2回(2012,2013)
- ゼロックススーパーカップ優勝5回(1998,1999,2009,2010,2017)
個人タイトル
JリーグMVP | 2009 |
日本年間最優秀選手賞 | 2009 |
Jリーグベストイレブン | 2001-2005,2009 |
JリーグチャンピオンシップMVP | 2000,2001 |
ヤマザキナビスコカップMVP | 2002,2015 |
天皇杯MVP | 2000 |
プレースタイル
視野の広さと判断力に優れたボランチ。プレースキックの精度も高く、フリーキックからのゴールも多い。
守備能力にも優れ、ジュビロの名波監督からも絶賛されています。身体は大きくありませんが、体幹の強さを活かし抜群のボール奪取率、ボールキープ力を誇ります。
また、キーパーの位置を見極めた超ロングシュートも小笠原の代名詞でした。
まとめ
スポーツ選手である以上、引退はいつかはきます。
小笠原にとっては今がそのタイミングだっというだけです。偉大な選手がピッチの上からいなくなるのは寂しいですが、また新たな選手が台頭して時代を築き上げていくということを思えば、鹿島にとっては新たな幕開けといってもいいんじゃないでしょうか。
小笠原の思いに応えるためにも、2019シーズンは今シーズン以上の結果が求められるでしょう。
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