ジュビロ磐田で前田遼一が付けていたエースナンバー18を引き継いだ小川航基選手。
桐光学園高校の3年生のときに第94回全国高等学校選手権大会で、高校ナンバーワンストライカーとして注目を集めた選手です。
ストライカーとしての素質は十分にあるものの、プロ入り後大きな怪我に泣かされ、なかなか結果を出せていません。
もっとも、2020東京オリンピック世代のエース候補として期待されている選手の一人で、怪我さえなければジュビロ磐田でも代表でも躍動してくれるでしょう。
2019.7追記
2019年7月14日、小川航基はジュビロ磐田から水戸ホーリーホックへ育成型期限付き移籍をすることが発表されました。2020年1月31日までとなります。
今回は、そんな小川航基のプレースタイル、経歴、東京五輪代表でのポジション争いについてまとめてみました。
小川航基のプロフィール
11/3 広島戦のハイライト動画をアップしました。https://t.co/6ngYhFACWr#jubilo#ジュビロ#DAZN pic.twitter.com/tTtixWVW9S
— ジュビロ磐田 (@Jubiloiwata_YFC) 2018年11月4日
東京五輪世代のエース候補の一人です。FWとして身長が高いのが特徴です。
名 前 | 小川 航基(おがわ こうき) |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
生年月日 | 1997年8月8日 |
身長/体重 | 186cm/78kg |
所属/背番号 | ジュビロ磐田/18 水戸ホーリーホックへ育成型期限付き移籍(2020年1月31日まで) |
ポジション | FW |
利き足 | 右足 |
小川航基のプレースタイル
小川航基がFWとしてプレーをはじめたのは高校に入ってからです。
それまではトップ下の選手としてプレーをしており、しっかりとした足元の技術をもっています。
サッカーの名門校の桐光学園でFWへコンバートされたということですので、当時の監督は小川のFWとしての適性を見抜いていたのでしょう。
身長もFWとして恵まれた186cmあり、その高さを活かしたヘディングを得意としています。
もっとも、小川航基の魅力は高さだけではありません。相手の一瞬の隙をついて、裏へ抜け出すプレーを得意としています。身長の割に俊敏な動きで相手の裏をとり、ゴールに結びつけています。
また、シュートの精度はこの年代ではトップクラスといえます。所属するジュビロ磐田ではなかなか出番が回ってこず、回ってきてもなかなかシュートまで持っていくことができずにもがいていました。
名波監督から言われ続けたペナルティエリア内での動き。それが結実したのが、2017年のルヴァンカップ、FC東京戦での自身公式戦初ゴールを含むハットトリックです。
1点目と3点目に小川の魅力が凝縮されているように思いますので、下の動画を一度ご覧ください。
ちなみに、小川が19歳で達成したこのハットトリックは前身のナビスコカップを含め、大会史上最年少記録となっています。
小川航基の経歴
名門桐光学園では
桐光学園は、日本を代表するプレーヤー中村俊輔選手の母校です。今二人ともジュビロ磐田でプレーしているのは何かの因果でしょう。年は19歳離れています。
サッカーの名門桐光学園では1年生からレギュラーとして活躍し、1年時に第92回全国高等学校選手権大会に出場しています。(2回戦敗退)
2年生では全国大会へは行っていませんが、3年生の時にはキャプテンとして第94回大会に出場し、2回戦、3回戦ともに2ゴールずつ奪っています。3回戦では試合中盤でのPKを外した上、PK戦にもつれこみ5人目のキッカーとして再び外し、チームはベスト16で大会を去りました。
自分では立ち上がれないほど大号泣した悔しい経験が、後のAFC U-19選手権2016のサウジアラビアとの決勝戦で活きることとなります。
年代別日本代表では
年代別の日本代表ではU-18から選ばれており、これまで代表では結果を残し続けています。所属のジュビロ磐田ではなかなか結果を出せていないものの、代表では結果を出しているため呼ばれているんですね。
<2015年>
- U-18日本代表 Panda Cup2015 得点王となり優勝に貢献。
<2016年>
- U-19日本代表 AFC U-19選手権2016初優勝に貢献 ほか
初戦に1ゴール、準々決勝で2ゴールを決め、日本の決勝進出に大きく貢献しました。
決勝のサウジアラビア戦は0-0のままPK戦に突入。高校時代には全国大会で最後のキッカーとして外して負けて大号泣しました。
今回は同じく最後のキッカーとして落ち着いて決め、日本の初優勝に貢献しました。
あの悪夢が脳裏によぎってガチガチに緊張するのかと思いきや、PKを楽しむことができたとコメントしています。
ちなみにこの大会のMVPは既にA代表でも活躍している堂安律選手でした。
<2017年>
- U-20日本代表 FIFA U-20ワールドカップベスト16に貢献 ほか
初戦の南アフリカ戦で価千金の同点ゴールを決め、勝利に貢献しています。
しかし、5月25日の2戦目ウルグアイ戦で、左ひざの前十字じん帯断裂および半月板損傷という大怪我をしてしまい、戦線を離脱しました。
<2018年>
- U-21日本代表 トゥーロン国際大会
ジュビロ磐田では
桐光学園から高校ナンバーワンストライカーとしてジュビロ磐田に入団したものの、なかなか出場権機会に恵まれていません。
当時磐田はJ1残留争いをしており、高卒ルーキーをいきなり実践で起用するほど余裕がなかったんだと思います。
1年目の2016年はリーグ戦には一度も出られませんでした。ルヴァンカップで2試合、天皇杯で1試合出場したものの、1年目は無得点に終わっています。
2年目の2017年は、歓喜と悲劇が一気に押し寄せ、小川にとっては激動の年でした。
前述のように、ルヴァンカップでFC東京相手に自身公式戦初ゴールとともに大会最年少ハットトリックを達成し、これから一気に飛躍していく年だと思われました。
ところが、5月25日のFIFA U-20ワールドカップで大怪我を負って以降は、怪我の治療に専念することになります。
たらればになりますが、ここで小川が大怪我を追っていなければ、磐田での定位置を確立させて今頃A代表に選ばれていたかもしれません。
3年目の2018年、ようやく治療が終わり、4月4日のルヴァンカップ ヴァンフォーレ甲府戦で復帰。329日ぶりの先発となりました。
2018年は先発で出る試合も多くなりましたが、まだ半分くらいはサブでの出場となっています。(出場16試合中先発7試合、途中出場9試合)
ジュビロ磐田の絶対的エース川又堅碁選手はさておき、大久保嘉人選手の牙城を崩せるかがポイントとなります。
2019シーズンは、ジュビロでの出場機会に恵まれず、7月にJ2の水戸ホーリーホックへ育成型期限付き移籍をしました。
※育成型期限付き移籍とは、簡単に言うと、若手(18-23歳)の選手に経験を積ませるために、下位のカテゴリーのクラブへ移籍することです。
東京五輪代表でポジションを掴めるか?
小川航基は1997年生まれなので、東京五輪世代の中では最年長になります。
そして東京五輪世代のFWには有力な選手がたくさんいます。
前田大然(1997.10.20)松本山雅→マリティモ(ポルトガル)
旗手怜央(1997.11.21)順天堂大
上田綺世(1998.8.28)鹿島
田川亨介(1999.2.11)FC東京
宮代大聖(2000.5.26)川崎→レノファ山口へ期限付き移籍
久保建英(2001.6.4)レアル・マドリー
東京五輪までの期間で他にもいい選手が出てくるかもしれません。
小川も世代別では第1候補として考えられてきましたが、23歳以下の色々な世代が集まる中では、下からの突き上げがあるだろうし、あるべきだと思います。
AFC U-19選手権2018では宮代、久保らが活躍して、FWとしてレギュラーの座を虎視眈々と狙っています。競争の中でお互いが切磋琢磨していく環境はとても大切です。
小川としてはまず、所属するジュビロ磐田でより多くの試合に出場し、ゴールという結果を残す必要があると思います。リーグ戦ではまだ通算1得点しか入れていませんので、もっと貪欲にシュートを打っていってもいいかもしれません。
その先に、地元東京で開催されるオリンピックの日本代表への道が開けると思います。
まとめ
小川航基にとって、2018年は復活の年です。怪我を乗り越え、プロ3年目にしてリーグ戦初ゴールを飾りました。
2019シーズンはジュビロ磐田で覚醒できませんでしたが、移籍先の水戸で修業を積み、ジュビロのエースとして、また東京五輪のエースとして活躍してほしいと思います。
コメント