前回、Jリーグ開幕(1993年)以降のオリンピックについてのまとめとして、リオ五輪、ロンドン五輪に関して振り返りを行いました。

今回は中編として、北京オリンピック、アテネオリンピックの日本代表について、成績、主なメンバー、落選メンバー、エピソードなどをお届けします。
2008年(第29回)北京五輪
北京五輪の結果:グループリーグ敗退
ステージ | 結果 | 得点者 |
GL第1戦 | ● 0-1(アメリカ) | なし |
GL第2戦 | ● 1-2(ナイジェリア) | 豊田陽平 |
GL第3戦 | ● 0-1(オランダ) | なし |
北京五輪の主なメンバー
■監督
反町康治
■OA枠
なし
■大会後のA代表経験者
<本大会メンバー>
西川周作、吉田麻也、水本裕貴、長友佑都、森重真人、内田篤人、安田理大、細貝萌、本田圭佑、香川真司、本田拓也、豊田陽平、岡崎慎司、森本貴幸、李忠成
<落選メンバー>
梅崎司、伊野波雅彦、千葉和彦、水野晃樹、青山敏弘、増田誓志、家長昭博、髙萩洋次郎、山本脩斗、槙野智章、柏木陽介、興梠慎三、平山相太、ハーフナー・マイク
北京五輪のハイライト、エピソード
大会後に日本代表の主力となったゴールデン世代
本田圭佑、長友佑都、岡崎慎司、香川真司、内田篤人、吉田麻也と後に海外リーグでも実績を作ったメンバーが当時のチームの主力でした。
さらに落選メンバーも見ても家長昭博や青山敏弘など、Jクラブの顔となった選手が多く非常に豪華な面々が揃っている世代だった言えます。
もともと1986年世代がチームの中心であり本田、長友、岡崎は既に所属クラブで頭角を表していました。
それに加え2007年のU20ワールドユースで活躍した「調子乗り世代」のメンバーから、内田、安田、香川、森重が飛び級で選ばれています。
しかし意外にも2008年当時に海外チームに所属していたのは本田圭佑(VVVフェンロー)、森本貴幸(カターニア)の2名のみであり、ポテンシャルは評価されていたものの、大会当時はそこまで期待されたメンバーではありませんでした。
北京オリンピックの3連敗という結果を受けて、のちの日本代表の主力に上り詰めた世代であると言えます。
メンバーの造反?
反町監督はメンバーに自信があったからこそ、下手な小細工はせず真っ向勝負を挑むことを決めていました。しかし世界の壁は厚く結果だけ見れば3戦全敗に終わり、世間から強い批判を浴びることになりました。
その際、マスコミが報じたのは本田圭佑を中心としたメンバーの反町監督への造反です。
「監督は“前から行かなくていい”といったけど、みんなで前から行こうと話した」と第3戦のオランダ戦のあとにメンバーが口にしており、この発言の中心であったのが本田圭佑であったと言われています。
これは言葉尻だけをとらえると監督への造反と見えますが、実際にはピッチでプレーしていた選手たちが自分自身で考えて出した結論であり、現代サッカーではピッチ上で選手が状況に合わせて戦術を変えるのは評価されることでもあります。
真っ向から監督を否定したわけではなく、実際に戦ったメンバーがそう判断したのであれば責められることではないでしょう。
金メダルはメッシ擁するアルゼンチン
この世代は1987年生まれのリオネル・メッシが含まれる世代です。
アルゼンチンはメッシ、アグエロ、ディ・マリア、またOAでリケルメも招集しており、前回のアテネ大会から連続での金メダルを目指しました。
特に当時21歳であったメッシはバルセロナで既に絶対的な主力として活躍しており、バルセロナが招集を拒否する可能性もありましたが、最終的にメッシの希望が叶えられることになりました。
大会前から優勝候補筆頭に挙げられていたアルゼンチンは、本大会前に国立競技場で日本代表とも親善試合を行っていました。(結果は0-1でアルゼンチンの勝利)
予選から順調に勝ち進んだアルゼンチンは決勝でナイジェリアを下し、見事前評判通りに金メダルを獲得しました。
しかしオリンピックの金メダルには縁があったメッシですが、いまだワールドカップを手に入れることはできておらず、次のカタール大会が年齢的にも最後のチャンスと言えそうです。
2004年(第28回)アテネ五輪
アテネ五輪の結果:グループリーグ敗退
ステージ | 結果 | 得点者 |
GL第1戦 | ● 3-4(パラグアイ) | 小野(2点)、大久保 |
GL第2戦 | ● 2-3(イタリア) | 阿部、高松 |
GL第3戦 | ○ 1-0(ガーナ) | 大久保 |
アテネ五輪の主なメンバー
■監督
山本昌邦
■OA枠
曽ヶ端準、小野伸二
■大会後のA代表経験者
<本大会メンバー>
曽ヶ端準、田中マルクス闘莉王、茂庭照幸、菊地直哉、徳永悠平、阿部勇樹、今野泰幸、松井大輔、駒野友一、石川直宏、高松大樹、田中達也、大久保嘉人、平山相太
<落選メンバー>
前田遼一、坂田大輔、青木剛、近藤直也、田中隼磨、鈴木啓太、山瀬功治
アテネ五輪のハイライト、エピソード
ゴールデンエイジと比較された谷間の世代
彼らは谷間の世代の元祖とも言える存在です。何しろ比較された世代が2000年のシドニーオリンピック、2002年の日韓ワールドカップで主力であったゴールデンエイジと呼ばれたメンバーであったためです。
ゴールデンエイジは中田英寿を筆頭に中村俊輔、小野伸二、遠藤保仁、稲本潤一、高原直泰などいずれも今ではレジェンドと呼ばれる面々がいました。
彼らと直接比較されてしまえば、どの世代であっても谷間の世代と呼ばれてしまいます。
しかし、南アフリカW杯では大久保嘉人、松井大輔、田中マルクス闘莉王、阿部勇樹、駒野友一が主力メンバーとして活躍しており、ゴールデンエイジに負けない実績を作った世代でもありました。
高原直泰のエコノミークラス症候群による代表辞退
高原直泰は当時フル代表のエースとして君臨しており、オーバーエイジ枠の有力候補でした。しかし持病であったエコノミークラス症候群のためにアテネ五輪参加を断念しています。
直前まで参加を検討していましたが、最終的にドクターストップが掛かり、代わりのオーバーエイジ枠を招集する時間もなかったため、曽ヶ端、小野の2名で本大会に望むこととなりました。
当時、エコノミークラス症候群は認知度が低く、高原の辞退によって世間に知られた病となりました。
終わりに
次回はシドニーオリンピック、アトランタオリンピックの日本代表についてご紹介します。
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