若くしてその能力は高く評価されていたものの、日本代表ではロシアワールドカップ以前までは大きなインパクトを残すことができていなかった柴崎岳選手。
ロシアワールドカップでは遂に日本代表での定位置を掴み、柴崎なしではベスト16は考えられなかったほどの活躍を見せます。
その活躍からワールドカップ後はビッグクラブが彼を放っておかないはずと日本人の誰もが確信していましたが、蓋を開けてみるとビッククラブへの移籍はなく、所属するヘタフェでの出場機会確保に苦しみました。
そしてついに2019年7月14日、柴崎がヘタフェからスペイン2部のデポルティボに移籍をすることが発表されました。
今回はそんな柴崎のプレースタイルや経歴、日本代表での序列などについてまとめましたので、最後までご覧ください。
柴崎岳のプロフィール
柴崎岳は、小中高と青森県で過ごします。詳しくは経歴のところで述べますが、サッカーの強豪青森山田高校出身です。
所属するヘタフェCFでは10番を背負いますが、出場機会に恵まれていないのが現状です。
2018年7月に、女優の真野恵里菜さんと結婚しています。
名 前 | 柴崎 岳(しばさき がく) |
出身地 | 青森県上北群野辺地町 |
生年月日 | 1992年5月28日 |
身長/体重 | 175m/64kg |
所属/背番号 | デポルティボ(スペイン2部)/ |
ポジション | MF |
利き足 | 右足 |
家族 | 妻(女優:真野恵里菜) |
柴崎岳のプレースタイルは?非凡なパスセンス
ボランチの位置から長短のパスを使い分けながら攻撃の起点となれる選手です。特に正確無比なロングキックによるパスは柴崎の真骨頂といえます。
非凡なパスセンスで、ここぞというタイミングで決定的なパスを放つことができ、ロシアワールドカップの決勝トーナメント1回戦のベルギー戦では、超ロングスルーパスを通して原口元気の先制点をアシストしました。
また、グループリーグのセネガル戦の乾の先制点の起点も柴崎のロングフィードからでした。柴崎→長友→乾のホットラインでゴールを奪いました。
体格には恵まれていませんが、頭が非常によく全ての場面で最善の選択を瞬時に下すことができます。
テクニックも高く簡単なボールロストが少ないことも柴崎の長所といえます。
海外移籍後は課題と言われていた守備面でも向上を見せており、ロシアワールドカップでも体を張ったプレーや、先を読むプレーで何度も相手の攻撃を防いで、守備力の高さも見せてくれました。
【柴崎岳のプレースタイル(約10分)】(ぷあたんアカデミー様に感謝)
柴崎岳の経歴(順風満帆なキャリアからの挫折と栄光の繰り返し)
青森山田高校→鹿島アントラーズ
柴崎は青森県出身であり、中学、高校は地元の青森山田高校のサッカー部に所属しています。早くからその能力はズバ抜けており、高校1年生ながら名門青森山田で10番を託されていたほどです。
中学時は全国中学校サッカー大会で準優勝、
高校サッカーでは2年時の全国高等学校サッカー選手権大会で準優勝を飾っています。
高校2年生の時点で早くも鹿島アントラーズへの内定が発表されており、ユース所属であればまだしも、高校の部活所属の選手が2年生でJリーグクラブに内定することは極めて異例であり、当時大きなニュースとなりました。
ちなみに鹿島での同期は昌子源、土居聖真であり。鹿島の黄金世代といっていいほどの選手が揃っています。
彼らの最初の背番号は20(柴崎)、23(昌子)、28(土居)でしたが。これは将来それぞれ十の位を取った背番号を背負う選手になってほしいとクラブが期待を込めた番号でした。
後に彼らはクラブの期待に見事に応え、それぞれ10、3、8を背負う鹿島の中心選手となりました。
鹿島入団後も早くから出場機会を掴んでおり、J1、天皇杯、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)の3大タイトル獲得に貢献しています。
鹿島には2011年から6年間所属しますが、もともと海外志向が強く、クラブワールドカップ2016のレアル・マドリードとの決勝戦での圧巻の2ゴールの活躍を置き土産に、2017年シーズンからスペイン2部のテネリフェに移籍します。
テネリフェ(スペイン2部)→ヘタフェ(同1部)
順風満帆なキャリアに見えましたが、テネリフェでは移籍直後に適応障害に苦しみ、サッカーがままならない状態となります。
適応障害は立派な病気ですが、当時は柴崎のメンタルが弱いからだと誤解を受け、日本でしか活躍できない選手と散々に揶揄されました。これは山口蛍、柿谷曜一朗、宇佐美貴史などがキャリア早々に次々と日本に帰国していた背景もあると思います。
ただし、柴崎は適応障害から復活するとすぐにテネリフェの中心選手となります。
テネリフェは柴崎に対して手厚くフォローしてくれるクラブであったため、早期復帰を果たすことができたと思われます。
また2018年7月に女優の真野恵里菜と結婚していますが、スペイン移籍直前から付き合っていたようであり、奥さんのサポートのおかげもあったのかも知れません。
テネリフェは一部昇格戦でヘタフェに敗れ、惜しくも昇格は叶いませんでしたが、そのときのプレーを高く評価したヘタフェが柴崎に獲得オファーを出します。
テネリフェでの環境もよかったようですが、最終的には一部での戦いを望み、ヘタフェ移籍を決意し、個人昇格を果たします。
移籍1年目の2017-2018シーズンはいきなりバルセロナ相手にスーパーボレーを決めるなど、ヘタフェの中心選手になると思われましたが、怪我による長期離脱により状況が一変しました。
ヘタフェ(スペイン1部)→デポルティボ(同2部)
クラブでの出場機会を減らし、ロシアワールドカップのメンバー入りに黄色信号が灯りましたが、日本代表監督がハリルホジッチから西野監督に代わったことにより、滑り込みでロシアW杯のメンバー入りを果たし、レギュラーとして日本のベスト16に大きく貢献しました。
その活躍により柴崎の移籍は確実とみられていましたが、蓋を開けてみれば移籍はなくヘタフェに残留、しかも出場機会もほとんどないという状況が続きました。
2年目のシーズンはわずか出場7試合にとどまり、さすがに柴崎も危機感を覚えたと思います。
ついに2019年7月14日、スペイン2部のデポルティボへの移籍が決定しました。
テネリフェ以来の2部ですが、2部では実績があるだけに柴崎の活躍に期待大ですね!
日本代表では森保監督の信頼を勝ち取る
ロシアワールドカップでの活躍から、次の日本代表の要として森保監督からも非常に期待されています。
それは出場機会がない状態でも代表に呼び続けており、試合にも使っていることからも伺えます。
当初は、青山敏弘選手、遠藤航選手に次ぐ3番手の位置づけでしたが、2019年6月に参戦したコパ・アメリカではキャプテンとして3試合すべてに出場しており、日本代表のボランチとして欠かせない存在となっています。
まとめ
デポルティボへの移籍によって試合勘を取り戻して、日本代表にもいい効果が表れることを期待したいですね。
鹿島時代のクラブW杯での2ゴールの活躍、ロシアW杯で中心選手として活躍した輝きを再び、日本代表でも見せてほしいと思います。
【柴崎の良さがよく分かる楽しい10分動画】(ぷあたんアカデミー様に感謝)
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