植田直通のプレースタイル。ベルギー移籍で代表での序列はどうなる?【動画あり】

植田直通 DF

今夏のロシアワールドカップでは大島、遠藤航と共にフィールドプレーヤーとして出場機会がなかった植田直通。

その悔しさは相当なものがあると思います。

 

そんな屈辱のワールドカップを経て、植田は大会直後に海外移籍を決断します。

同時期に遠藤も海外移籍を決断しており、二人は共にベルギーリーグを新天地として選び、植田はサークル・ブルッへ、遠藤はシント・トロイデンへの移籍を果たします。

 

しかし移籍後の2人の活躍は対象的です。

遠藤は所属クラブでレギュラーを掴むと共に、日本代表でもボランチのレギュラーを確保していますが、植田は新天地での適応に苦しみここまで出場機会を満足に得ることができていません。

 

今回は、そんな植田のクラブでの現状、日本代表での序列などについて、プレースタイルとともにまとめてみました。

 

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植田直通のプロフィール

 

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熊本県の強豪大津高校出身ですが、同級生には植田(写真左)と同じ鹿島へ入団し、ベルギーのオイペンに移籍したFW豊川雄太(写真右)がいます。植田らはリオ世代になります。

また同校出身者では2学年上に川崎フロンターレの車屋紳太郎、3学年上に同じく川崎の谷口彰悟がいます。

なお、2018年12月時点ではまだ独身です。

名 前 植田 直通(うえだ なおみち)
出身地 熊本県宇土市
生年月日 1994年10月24日
身長/体重 186cm/79kg
所属/背番号 サークル・ブルッヘ/24
ポジション DF
利き足 右足

 

植田直通のプレースタイル

抜群の身体能力と、日本人離れしたフィジカルを武器に戦うセンターバックです。

恵まれた体格を活かした空中戦対人プレーが持ち味です。顔も強面なので、相手からしたらなんか嫌ですよね。

本人も空中戦と対人プレーには絶対的な自信を持っているようです。

 

気持ちが非常に強い選手であり、憧れの選手はプジョルと公言しています。

その言葉通り、試合中に接触などで血を流していてもプジョルさながらにプレーを続けており、毎試合血を流すほどの熱いプレーをすることがむしろ目標であると試合後に語っています。

絶対に手を抜かない闘争心溢れるプレーはまさにディフェンダー向きといえます。

 

サッカーと同時にテコンドーも幼少期から続けている珍しい経歴があり、実は中学時代には日本一になったほどの腕前があります。

植田の流血をいとわない熱いプレースタイルは、このテコンドーの経験からきているのかも知れません。

 

【1試合だけで植田の強さがよく分かる3分動画】(PSG様に感謝)

 

植田直通の経歴

熊本の名門大津高校で転機

植田は熊本県の出身であり、小学校3年でサッカーを始めています。テコンドーとの二束のわらじを履きながら、サッカーでも活躍を見せ、高校は地元の名門大津高校に進学します。

 

ここで植田にとって転機がありました。

ポジションをフォワードからディフェンダーに転向したのです。

植田の適正を見抜いた監督も見事ですが、植田もコンバートからわずか1年でU16日本代表に選出されてしまうほどのポテンシャルも見せ付けます。

 

フォワードからディフェンダーへのコンバートで花開き、ユース年代の代表にも登り詰めた経歴は故・松田直樹も全く同じであり、松田も熱い性格を持ったプレーヤーであったことから、松田を知っている方は彼をイメージするとよいかもしれません。

 

アンダー世代の代表のレギュラーセンターバックであった植田には、高校卒業時に10クラブ以上からの獲得オファーが届きました。

数あるオファーから植田が選んだのは鹿島アントラーズでした。

植田は鹿島を選んだ理由に「ファミリー感が一番あったから」と入団後に語っています。

 

鹿島アントラーズでレギュラー

鹿島では1年目こそ出番がありませんでしたが、2年目からは出場機会を掴み、名門鹿島において19歳にしてチームの主力に定着します。

2歳年下の鈴木優磨が高校生のときに鹿島のトップチームの練習に参加した際、植田に簡単に吹っ飛ばされ衝撃を受けたと語っています。

 

リオデジャネイロオリンピックでも日本代表のディフェンダーの柱として全試合に出場しており、オリンピック後はその活躍も評価されてA代表にも選手されるようになります。

 

A代表での苦悩

植田のA代表での印象は「選出はされるが使われない」の一言です。

個人的にはもっと使ってよいと思うのですが、なぜかこれまでどの監督の下でも出場機会に恵まれることがなく、バックアッパーとしての位置付けを脱することができていません。

 

日本代表におけるセンターバックのファーストチョイスは長らく吉田麻也です。

吉田は不動の存在としても、その相方として選ばれているのは昌子源、槙野智章、三浦弦太、森重真人であり、植田は出場しても本職ではないサイドバックで使われたりしています。

 

ロシアワールドカップのポーランド戦は日本代表の状況から大幅なターンオーバーがなされたため、植田もスタメン出場の大きなチャンスでしたが、ここでも槙野の後塵を拝しており、植田の出番がありませんでした。

 

Jリーグでの活躍から十分計算できる選手であり、だからこそ歴代の代表監督からも招集されているとは思いますが、この扱いは代わっていません。

 

植田がそんな状況に嫌気が指し、今の状況を脱するためにワールドカップ後に海外移籍を決意したことは自然な考えと言えます。

鹿島が優しいところは、植田の流出は戦力として痛いのは間違いないことでしたが、植田の状況を理解し快く送り出したところです。

こんなところが植田が「ファミリー感を感じる」と評して、鹿島を選んだ理由なのかも知れません。

 

ベルギーのサークル・ブルッへ

サークル・ブルッヘはベルギーの中堅クラブであり、2016-17、2017-18シーズンはベルギー2部、今シーズン1部に昇格しています。なお、過去所属した日本人選手はいません。

そのため、日本人からすると聞きなれないチームなのではないでしょうか。

 

フランスリーグのモナコと強い繋がりがあり、サークルブルッヘで活躍してモナコへ移籍するというのが一つの流れとして出来上がっているようです。

 

そんなチームで植田は当初出場機会の確保に苦しみます。

これはブルッヘが鹿島とは違う戦術で戦っており、植田の長所が活きなかったことがあります。

植田の真価は対人の強さを生かしたマンマークでこそ最大限に発揮されます。

しかしブルッへではセンターバックは外に出るなと強く言われていたようで、これによって植田の持ち味のマンマークが活きませんでした。

そのため出場機会の確保に苦しみました。

 

しかし最近はチーム成績が低迷したことから、ディフェンスのルールが変わり、鹿島と同じようにセンターバックが外に出てもよいことになったそうです。

これによって本来の植田の良さが生きるようになり、11/3までの直近4試合は全てスタメンフル出場しており、レギュラーを確保したといえる状態になりました。

 

まとめ

ベルギーでの出場機会減によって日本代表から遠ざかることになりましたが、状況は変わりました。

植田が今のまま、ベルギーでの活躍を続ければ代表復帰はすぐでしょう。

ベルギーでの経験によって、これまでのバックアッパーとしての扱いを脱して、植田が絶対的なセンターバックとなれることを期待したいと思います。

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