宇佐美貴史はなぜガンバ大阪に復帰したのか?ドイツで成功しなかった理由

MF

宇佐美貴史選手が2度目のガンバ大阪復帰を果たしました。

ガンバ大阪の育成組織の最高傑作と言われ、17歳からトップチームの試合に出場していた宇佐美はその濃いキャリアと裏腹にまだ27歳という年齢です。

サッカー選手としては、一番脂が乗っている時期にJリーグ復帰を選んだ真意はどのようなところにあるのでしょうか?

 

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1度目の海外挑戦(19歳)

 

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宇佐美は19歳にして、ドイツの名門バイエルン=ミュンヘンへのレンタル移籍を果たしています。

当時のバイエルンにはリベリー、ロッベンなど世界的な名手が集まっており、宇佐美は分厚い選手層の中でなかなか試合に出場することができませんでした。

 

日本人史上初のCL決勝のベンチメンバーには入りましたが、結局シーズン終了後の契約延長オファーはなく、バイエルンを1年で退団します。

その後、ガンバには復帰せず、引き続きドイツのホッフェンハイムへのレンタル移籍を果たします。

しかし、そこでも目立った活躍を残すことができず、結局ブンデスリーガは2年のみの挑戦でガンバ大阪に復帰します。

21歳で復帰したガンバでは目覚ましい活躍を見せ、2013年のJ1昇格、2014年の三冠獲得にエースとして大きく貢献します。

 

2度目の海外挑戦(24歳)

 

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2016年、24歳で2度目の海外挑戦を決断し、ドイツのアウクスブルクへの移籍を果たします。

 

しかし、そこでも結果を残すことができず、次の年にはブンデスリーガ2部のデュッセルドルフに移籍します。

デュッセルドルフではチームの2部優勝に大きく貢献しますが、1部復帰後は出場機械を掴むことができず、下位に低迷し苦しんでいた古巣ガンバ大阪からの復帰オファーを受け、2度目の国内復帰を果たします。

 

2度目の海外挑戦は失敗だったのか?

宇佐美自身は、2度目の海外挑戦についてインタビューで「清々しいくらいのダメだった」と答えています。

確かに外から見ていても、宇佐美の海外挑戦はお世辞にも成功したとは言えないでしょう。

 

2度目の海外挑戦時は、10代の勢いだけではなく、Jリーグで2年連続のベストイレブンに輝き、さらに1度失敗したドイツでの経験もあったことから、十分に準備されたものでした。

満を持しての挑戦であり、その証拠に出場機会を重視してメガクラブではなく、中堅クラブのアウクスブルクを最初の移籍先として選んでいます。

おそらく宇佐美のキャリアプランの中では、アウクスブルクで出場機会を掴み、評価を高めた上で名門クラブに移籍を果たす青写真があったはずです。

しかし、始まってみればアウクスブルクでも十分な出場機会を掴むことができず、2部のデュッセルドルフへレンタルされてしまいます。2部ではチームの優勝に貢献しましたが、1部昇格後は再びクラブでの出場機会を失うことになってしまいます。

 

若い頃からエリート街道を歩んできた宇佐美にとって、ドイツでの日々は耐えがたい屈辱の連続であったと思います。

しかし、思い描いた成功を掴むことはできませんでしたが、一方でドイツでの苦々しい経験を自身で「清々しいくらい」と表現できるほど、宇佐美の内面の成長は著しかったのではないでしょうか。

 

なぜ宇佐美はドイツで成功できなかったのか

宇佐美は高いドリブルテクニックと、優れたシュートセンスを長所とするプレーヤーです。

 

宇佐美貴史のプレースタイルを動画付きでまとめました。

 

そのため、ボールを持つ機会が多ければ多いほど、相手チームにとっての脅威となりえます。

しかし、宇佐美が最初に所属したアウクスブルクは、中堅チームであったがゆえにロングボールを多用する戦術を取っていました。

そこで必要となるのは、ボールを追いかける守備力と、多くの距離を上下動するだけの運動量ですが、どちらも宇佐美は得意とはしていませんでした。

2部のデュッセルドルフは、上位チームでもあったため、自らがボールを支配しながら攻めるチーム戦術を採用しており、宇佐美との相性は非常に良いものでした。

だからこそ、宇佐美も輝くことができたと言えます。

しかし、1部昇格後は勝ち点を確保するためにロングボールを多用するチームに変わってしまい、結局宇佐美の状況は逆戻りしてしまいました。

 

宇佐美と同じくJリーグでは典型的なドリブラーであった原口元気は、ドイツ移籍後は自らのプレースタイルを変え、運動量豊富な選手となることでチームでの定位置を掴みました。

これも一つの成功の形ですが、宇佐美は原口ほど環境に適用することができませんでした。

 

結局、チームでの居場所をなくしてしまった宇佐美は、さらなる海外移籍か、ガンバ大阪復帰のどちらかを選ぶことになりましたが、宇佐美はガンバ大阪復帰を決断しました。

 

2度目のガンバ大阪復帰

 

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宇佐美の復帰について、ガンバの松波強化部長は主に2つの理由があったと明かしています。

1つは宇佐美自身がガンバへの復帰を熱望したことです。

宇佐美自身はJリーグに戻るのであれば、ガンバしか選択肢がないということを明確にしており、実際にヴィッセル神戸からも獲得オファーがあったそうですが、これを断っています。その姿勢をガンバ側は強く評価しました。

 

そして、2つ目はガンバが遠藤保仁に続く、チームのバンディエラを求めていたということです。

ガンバ大阪の顔と言えば、長らく遠藤保仁でしたが、39歳になり残りの現役時代は長くはないと言えます。次のガンバ大阪を背負う存在として、クラブは宇佐美へ白羽の矢を立てたのです。

獲得時に「海外の選択肢を残して復帰したいとか甘い考えを持っていてはダメ」と松波強化部長は宇佐美に告げたと言います。

しかし、それは次のガンバを背負う男になるという覚悟を持てという期待の裏返してあり、ガンバは期限付きではなく、完全移籍での宇佐美獲得を果たします。

 

復帰戦でいきなりのゴール

ガンバ復帰後の初戦となった名古屋グランパス戦で、宇佐美はいきなりアディショナルタイムに貴重な同点弾を記録します。

これは宇佐美の得点感覚が錆び付いていなかったという、何よりの証明でしょう。

またクラブはサンフレッチェ広島からFWパトリックを期限付き移籍で獲得することを発表しました。

宇佐美、パトリックの2人は三冠を果たした2014年のツートップの再結成であり、現在11位と中位に沈むチームの巻き返しの切り札として期待されます。

チーム、サポーターからの期待も非常に大きいのではないでしょうか。

 

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