吉田麻也選手といえば、長らく日本のディフェンスリーダーであり、2度のワールドカップ出場(ブラジル、ロシア)、2度のオリンピック出場(北京、ロンドン)と他の日本人選手にはない輝かしい経歴を持っています。
現在、世界一レベルの高いリーグともいえるイングランドプレミアリーグで7年間に渡ってサウサンプトンの主力として活躍しており、歴代の日本代表センターバックの中でもトップクラスの実績を残しているプレーヤーです。
今回はそんな吉田麻也のプレースタイルや代表キャプテンとしての役割、それを支える嫁と子供の存在などについて紹介します。
吉田麻也のプロフィール
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吉田は、高さで世界に対抗できる非常に体格に恵まれたセンターバックです。
プライベートでは2012年に一般女性と結婚しており、子供(娘)が一人います。
名 前 | 吉田 麻也(よしだ まや) |
出身地 | 長崎県長崎市 |
生年月日 | 1988年8月24日 |
身長/体重 | 189cm/85kg |
所属/背番号 | サウサンプトン/3 |
ポジション | DF |
利き足 | 右足 |
家族 | 妻(一般人)、長女 |
吉田麻也のプレースタイル
189センチ85キロと日本人離れした体格で、空中戦で強さを発揮します。
屈強な選手が揃うプレミアリーグでは、そんな吉田もセンターバックとして標準的なサイズと言われますが、ボールの落下点に入る速さ、最高到達点でボールを捉えるセンスの良さで高い空中戦勝率を誇ります。
高校時代にはボランチを務めていたことから、テクニックも高く正確なロングフィードを蹴ることもできます。
また時折見せるアクロバティックなボレーシュートは吉田の代名詞にもなっています。ここぞという場面における勝負強さもあり、日本代表ではたびたび試合終了直前に貴重な決勝ゴールを決めています。
吉田麻也の経歴
名古屋グランパス→VVVフェンロ
長崎県の出身ですが、たまたま家族旅行で名古屋を訪れたついでに受けた、グランパスユースのセレクションに合格し愛知県に移住します。
「家族旅行のついでに」受けて合格するというエピソードから合格者が多かったような印象を受けますが、決してそんなことはなく受験者70名のうち、合格したのは吉田を含めて4人と非常に狭き門でした。
グランパスでは順調にトップチームに昇格すると、1年目からセンターバックとしてリーグ戦19試合に出場します。
2年目にはレギュラーを完全に獲得し、3年目まで名古屋グランパスの最終ラインに君臨し続け、2009年オフにはオランダのVVVフェンロに移籍を果たします。
VVVフェンロは本田圭佑、大津祐樹、カレンロバートも所属したクラブと知られ、日本人には馴染み深いクラブです。
ここでも早々にレギュラーを獲得し、印象的な活躍を残すと2012年にはイングランドプレミアリーグの古豪サウサンプトンに移籍し、以後現在までサウサンプトンに所属し続けています。
サウサンプトンでの熾烈なレギュラー争い
サウサンプトンは優秀な育成クラブとして有名で、多くの世界レベルの選手を排出してきています。
ギャレス・ベイル(レアル・マドリード)を筆頭にテオ・ウォルコット(エヴァートン)、ルーク・ショー(マンチェスター・ユナイテッド)などはサウサンプトンの下部組織出身です。
トップチームでも吉田と同じセンターバックのポジションには、フィルジル・ファンダイク(リバプール)、デヤン・ロブレン(リバプール)らがおり、吉田はこの選手たちとレギュラー争いを繰り広げていました。
吉田の凄いところは、このメンバー相手でも最終的にはレギュラーを奪っていることです。
これは長友佑都にも同じことが言えますが、日本人選手の宿命なのか前シーズン終盤にレギュラーを獲得していても、次のシーズンが始まると毎回ベンチからのスタートとなります。
それでも毎シーズン、最終的にはレギュラーを獲得しているため、どちらもサポーターからの人気、評価は非常に高いものがあります。
日本代表キャプテン
前述したように二度のワールドカップとオリンピックに出場しており、もはや吉田のいないディフェンスラインは考えられないほどの経験値を持っています。
代表では背番号22を好んで着用しますが、これは前任の中澤佑二へのリスペクトからと言われています。
長谷部誠が日本代表から引退してからはキャプテンも務めており、代表メンバーからの信頼も厚い選手です。
性格も非常にフレンドリーなことで知られ、誰とでもうまくコミュニケーションが取れることも吉田の特徴といえます。代表メンバーの中ではいじられキャラだそうです。
センターバックのパートナーを選ばないことも吉田の特徴で、これまで数多くのセンターバックとコンビを組んできています。
誰と組んでも大崩れすることがないため、吉田がいれば最終ラインは安定するという安心感があります。
そんな吉田も代表に選ばれた当初は苦労していました。
2011年のアジアカップから日本代表の主力として定着しますが、前任の中澤佑二、田中マルクス闘莉王の二人が南アフリカワールドカップで印象的な活躍を残したこともあり、当初は吉田への風当たりは強いものでした。
特にカタール戦ではゴール前で致命的なファールを与え、二度目のイエローカードで退場してしまい、そのフリーキックで勝ち越しゴールを奪われてしまいます。チームがその後に逆転したことで、事なきを得ましたが敗戦していた場合は戦犯として扱われていたと思われます。
吉田がディフェスリーダーとして覚醒したのは、オーバーエージ枠で参加したロンドンオリンピックであり、ここでキャプテンとしてチームのベスト4進出に大きく貢献します。
そこで大きな経験を得た吉田はフル代表でも存在感を発揮し、それ以降は絶対的な存在として君臨しています。
吉田麻也を支える嫁・子供の存在
吉田は2012年に一般女性の方と結婚し、1子を授かっています。
奥さんへのプロポーズは、親友の内田篤人がプロデュースしており、吉田のプロポーズを影から見守っていたそうです。
吉田と奥さんが初めてキスをした思い出の場所で、タキシードを着て出迎え、ひざまずいて「一緒に時を刻もう」と時計をプレゼントしてプロポーズをしたという逸話があります。
無事、プロポーズが成功すると二人の前に現れて奥さんにインタビューしており、この微笑ましい場面は結婚披露宴でも流されたそうです。
異国の地で戦う吉田にとって、家族はかけがえのない支えであり、安定した活躍ができるのもご家族のお陰かも知れません。
まとめ
まだ30歳ということもあり、これからも暫くは日本代表はこの男を頼ることとなるでしょう。
注目は吉田と組むことになるパートナーで、20歳の冨安健洋をはじめ、23歳の三浦弦太、まだ森保ジャパンには招集されていない26歳の昌子源あたりが候補に挙がっています。
願わくば吉田の代表引退前に新たなディフェンスリーダーが現れてほしいですね。
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